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[衣笠店] 2026-08-09

家康と眼鏡

暑いですね~。
干からびそうですね~。

最近は歴史に興味津々な大浦です。

もともと好きではあったのですが、
広く浅くで、そこまで深入りするわけでない感じでしたが、
今は沼りそうです。

さて、そんな私が今回お届けするのは「家康と眼鏡」
家康とはもちろん、天下人『徳川家康』のことであります。


「徳川家康」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?

戦国時代を生き抜いた天下人。
江戸幕府を開いた人物。
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」の人。

そして、もうひとつ。

実は徳川家康は、眼鏡とも少し縁のある人物なのです。

そもそも、日本に眼鏡が伝わったのはいつ頃なのでしょうか?

諸説ありますが、日本に眼鏡が伝来したことで有名なのが、戦国時代の宣教師・フランシスコ・ザビエルです。
1549年、ザビエルが日本へやってきた際、眼鏡を持っていたとされています。

当時の眼鏡は、現在のように耳にかけるタイプではありません。
レンズを鼻の上に乗せるような形で、現在でいう「鼻眼鏡」に近いものでした。

つまり、日本に眼鏡が入ってきたのは、なんと戦国時代。
織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康が活躍していた時代です。

では、家康は眼鏡を使用していたのでしょうか?

ここが一番気になるところです。

実は、徳川家康が眼鏡を使用していたことを示す資料が残されています。
家康が使用したと伝わる眼鏡は、現在も静岡県の久能山東照宮に伝わっています。

家康が亡くなったのは1616年。
つまり、今から400年以上も前です。

そんな時代に、すでに「見るための道具」として眼鏡が使われていたわけです。
もちろん、現在の眼鏡とは大きく違います。
フレームは金属製ではなく、木製などの素材が使われ、レンズも現代のような精密なものではありません。
それでも、
「見えにくいものを見るために、道具を使う」
という考え方は、現代の眼鏡と同じです。

ここからは少し想像を膨らませてみましょう。

徳川家康は1543年生まれ。
1616年に亡くなっていますから、73歳まで生きたことになります。
当時としてはかなりの長寿です。

当然、年齢を重ねれば「近くのものが見えにくい」という老眼のような変化も起こります。
家康ほどの人物であれば、
「書状の文字が見えにくい……」
「細かい文字を読むのが大変だ……」
そんな場面があったのかもしれません。

そこで登場するのが眼鏡です。
現代の私たちからすると、
「見えにくくなったら眼鏡を使う」
というのは当たり前のこと。

しかし、当時は眼鏡そのものが非常に珍しい道具でした。
そう考えると、家康が眼鏡を使っていたという事実は、ちょっと面白く感じないでしょうか?

眼鏡というと、
「視力を良くするもの」
というイメージがあります。

でも、正確には少し違います。
眼鏡は、その人が見たいものを、より見やすくするための道具です。

本を読む。
手紙を書く。
新聞を見る。
スマートフォンを見る。
車を運転する。
テレビを見る。

時代が変わっても、「見たいものがある」という人間の生活は変わりません。
家康の時代には、書状や書物。

現代では、スマートフォンやパソコン。
見たいものは変わりましたが、

「よく見たい」という人間の願いは、400年以上経った今も変わっていないのかもしれません。

私たちは普段、「見える」ことを当たり前だと思っています。
しかし、眼鏡の歴史を少し調べてみると、その「当たり前」が決して当たり前ではなかったことに気づきます。

400年以上前の人も、
「もっとよく見たい」
と思っていました。

そして現在も、私たちは同じように、
「もっと見やすくしたい」
「もっと楽に見たい」
「もっと快適に過ごしたい」
と考えています。

眼鏡は、単なるファッションアイテムでも、視力を補うだけの道具でもありません。
人が「見る」ということを大切にしてきた、その歴史の一部なのです。

徳川家康が生きた戦国~江戸時代。
そこから400年以上。
眼鏡は姿を変え、レンズは進化し、素材も技術も大きく変わりました。

それでも、
「よく見えるようにしたい」
という、人の想いだけは変わっていません。

次に眼鏡をかけるとき。
少しだけ、そんな長い歴史に思いを馳せてみるのも面白いかもしれません。
もしかすると、徳川家康も同じように眼鏡越しの世界を見ていたのかもしれませんね。


衣笠店 [ カルチャー / コラム ] 2026-08-09




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